各種古武術紹介

筑前塾道場は武術を通じた人間育成、歴史文化伝統の保存を行っています。

神道夢想流杖術について

 神道夢想流杖術は今からおよそ400年程前に夢想権之助によって編み出され、黒田藩で伝承されて来た武術です。
 権之助は慶長年間の頃の人で、元々桜井門下の神道流系の兵法者として杖術ではなく剣術を使っていました。
 当時は多くの剣客との試合で負け知らずでしたが、播州明石にて宮本武蔵との試合では武蔵の十字留めに掛かり、進退窮まり負けてしまいました。(※1)
 その後諸国を遍歴し、筑前の国は宝満山、不智窟に籠もり、満願の日に「丸木をもって水月を知れ」との御神託を授かり、杖術を編み出したと伝えられています。(※2)
 特徴として一般的な武術のイメージとは違い、「相手を傷付けずに制する」という考えのもとに技術が組まれています。そのため黒田藩に召抱えられた後は、犯人を殺傷せずに捕らえることが役目である、捕方の武術として主に活躍することとなりました。(※3)
 また、技術の中に体術としてもさまざまな要素が含まれているため、これを学ぶことによって基礎的な身体能力を向上させ、他の武術を学ぶ場合にも良い効果があるという評価を得ていたようです。
 近代においては、昭和初期に警視庁で指導され警杖術の元となりました。戦後も武道禁止令の中、殺傷目的ではない護身術や警備用の技術という名目で稽古が続けられ、現代では簡略化された杖道なども含め、さまざまな形で全国に広まり伝承されています。
 歴史的に見ても、比較的昔そのままの形が変えられず残され、そのカリキュラムも非常に良く出来ている貴重な古流武術です。
 

※1)権之助が登場する最古の記録である「海上物語(寛文6年)」では武蔵にあっさりと負けていますが、武蔵の強さを表現するための人物として記載されていることから、当時それなりに強さを知られていた人物であったと思われます。  もう少し細かい話をすると、「海上物語」は著者や表記内容を考慮すると仏教の法話的な文書であり、武蔵が仏法の加護を受けたヒーローなら、権之助は「天下一の無法者」と表現される暴力の化身という扱いのようです。
※2)当流の伝承として、権之助が杖術を編み出した後、武蔵と再戦し十字留めを破ったという話も伝わっていますが、実際に再戦したかは不明です。
※3)黒田藩において、下士や足軽が学ぶ「男業(杖・捕手・縄)」の一つとなりました。杖では他に天阿弥流兵杖や神乳限木などがあります。ただし、初期の段階では5代目の原田兵蔵が家老野村太郎兵衛の中坊主(秘書)であったように、必ずしも捕方だけが学んだわけではありません


併伝の武術について(概要)

 神道夢想流には杖を主軸として、歴代の門人たちの影響や捕方としての職務の都合で、 さまざまな武術が一緒に伝承されています。
 これらの内、神道流剣術は単独の流派ではなく神道夢想流杖術の技術に含まれます。
 いずれにせよ、本流の杖術にくらべ簡素なことから分かるように、個別に単独で学ぶものではなく、 杖術で武術の基礎を学んだ者が学ぶようになっています。


・神道流剣術(杖術のカリキュラムの一部)
・一角流十手術(捕手)
・中和流短剣術
・一達流捕縄術(捕手)
・一心流鎖鎌術
・内田流短杖術(近代)

神道流剣術について

 八通りの大太刀、四通りの小太刀(四通八通)とも呼ばれる剣術形です。

 神道夢想流流祖の夢想権之助は元々桜井門下で霞神道流の剣術を学んだので、 それらを元にした剣術が伝わっています。
 大太刀を用いた8つの形(二刀含む)と小太刀を用いた4つの形から成っており、 現代的な打ち合いではなく、古い太刀遣いです。 道場にもよりますが、普通は杖の奥伝の修行の後に学び、その太刀遣いは杖術の打太刀と表裏一体となっているようです。

 神道流とはいっても香取神道流の剣術とは違います。


一角流十手術・中和流短剣術

 この二つは十手を使うか短剣を使うかの違いはあれど、 形名や動作など小型武器を使う稽古としてはほぼ同様です。 特徴として十手と鉄扇のように両手に武器を持って戦う事が挙げられます。
・一角流十手術  本来は一角流捕手術ですが現在では手棒(十手)部分だけが伝承されています。 流祖は神道夢想流3代目の松崎金右衛門と言われていましたが、 古い伝書などでは權藤角右衛門との記載もあり、伝承の過程で捕手術や捕縄術の情報が混ざってしまったと思われます。 (男業としても一角流は捕手術と縄に分かれています)
 実伝としては刀を使う打太刀を相手に十手または鉄扇あるいはその二刀流で対応するという技法で、 捕手部分は形の中に多少その要素を残す程度です。

・中和流短剣術
 流祖は小谷惣右衛門と言われています。
 一角流とほぼ同じで武具が短剣、打太刀が中和流になったという話もあります。

内田流短杖術について

 内田流短杖術は神道夢想流の師範である内田良五郎が明治時代に当時流行したステッキを使った護身術として 杖術と十手術の技術を組み合わせ編み出した武術です。
 時代背景としてご存知の通り明治時代になると廃刀令によって帯刀は禁止されましたが、 元武士階級の者は腰回りが寂しいらしく、鉄扇を腰に差し大和杖などを携えていました。 それに応じた武術が広まるのも当然といえます。
 たまに勘違いする方がいますが、この杖は俗に言う仕込み杖ではありません。 明治時代にも仕込み杖を持つ者がいたためそういう武器は禁止され、当然ですが現代でもそれらは禁止です。

一心流鎖鎌術について

 開祖は鎌倉寿福寺の僧、念阿弥慈恩といわれています。
 鎖鎌といえば鎌に鎖分銅が付いた武器ですが、一心流では通常の鎌と違い特殊な護拳が付き、 持つ位置を変え独特な使い方をすることがあります。 形としてはもちろん一般的な鎖を張って受けたり、そこから相手の刀身に絡める技術もあります。
 他流に比べ道具は個性的ですが、大切なのは基本的な体術であることは言うまでもありません。
 当流の著名人として由比正雪や宍戸梅軒が居ます。


一達流捕縄術について

 流祖は松崎金右衛門。
 黒田藩の男業の一つ、縄の分野にあたります。
 当時は身分や状況などによって縄の掛け方も違い、 一達流にもシンプルな早縄の一文字や菱など以外に 本縄の二重菱や馬上翅付のような複雑な縄の掛け方が多数あります。